あ「愛発不破 鈴鹿で結ぶ 古代関」

(あらちふわ すずかでむすぶ こだいせき)

 愛発(あらち)、不破(ふわ)、鈴鹿(すずか)は、奈良時代に都を守るために作られた3つの関所の名前です。愛発関は越前国(今の福井県)、不破関は美濃国(今の岐阜県)、鈴鹿関は伊勢国(現在の三重県)にありました。

 関所があったのは、今からおよそ1300年程前のことで、3つの関所をあわせて、「古代三関」(こだいさんせき・さんげん)と呼ばれています。

 伊勢鈴鹿関は、現在の関宿があるあたりにあったと言われており、関の地名もこの鈴鹿関に由来しています。

 天智天皇が亡くなった後、大友皇子(おおとものみこ)と大海人皇子(おおあまのみこ)が天皇の位を争った「壬申の乱(じんしんのらん)」の折には、戦いに勝利し、後に天武天皇となった大海人皇子が鈴鹿関を固めたことが『日本書紀』に記されています。

 関宿の西部や観音山あたりでは、関所を囲っていた土を突き固めた塀の跡や、塀で使われていた瓦などが見つかっています。

絵札 3つの関があったところ

 愛発関は“北陸道”、不破関は“東山道、鈴鹿関は”東海道”という、都から東国へ向かう道の上に設けられていました。このため、関所より東を“関東”、西を”関西”と呼ぶようになりました。


そこで、「続く 七七」「関より東 関東と呼ぶ」です。

「『関宿かるた』続く七七」

「愛発不破 鈴鹿で結ぶ 古代関
    関より東 関東と呼ぶ」


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