に「日本橋 関宿からは 百六里」

にほんばし せきじゅくからは ひゃくろくり

 東海道五十三次は、江戸時代、江戸(今の東京)と京(今の京都)とを結んでいた全長500キロメートル余(126里)の街道です。街道には53の宿場があったことから、「東海道五十三次(とうかいどう53つぎ)」と呼ばれています。

 東海道、中山道、日光街道、奥州街道、甲州街道の五つの街道は「五街道(ごかいどう)」と総称され、慶長6年(1601)、徳川家康によって整備が始められました。この五街道の起点となったのが、江戸の「日本橋(にほんばし)」です。

 関宿は江戸を出発すると47番目の宿場で、日本橋を起点として106里8町(約417㎞)の位置にありました。逆に言えば、日本橋は関宿から百六里の位置にあることになります。関宿の中心部にある小公園「百六里庭」は、関宿が日本橋から百六里の位置にあることから名づけられました。

 日本橋を東海道五十三次の起点とすると、終点は「京三条大橋(きょうさんじょうおおはし)」です。関宿から京三条大橋までは19里半(約80㎞)程。坂下、土山、水口、石部、草津、大津の6宿があります。関宿を朝発ったとしてもまだ途中で1泊が必要でした。

絵札 関宿中町の小公園「百六里庭」

そこで、「続く七七」は、
「十九里半の 京へ六宿」
(じゅうくりはんの きょうへろくしゅく)です。


『関宿かるた』続く七七 

「日本橋 関宿からは 百六里
  十九里半の 京へ六宿」



さらに詳しくお知りになりたい方は、
「“関宿”まちなみ・町家暮らし」へ。
「東海道“関宿”を見渡す。“百六里庭”と”眺関亭”」


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