と「泊まるなら 鶴屋か玉屋 会津屋か」

とまるなら つるやかたまや あいづやか

 伊勢参りの旅人たちが関宿の旅籠をうたった歌があります。
「関で泊まるなら鶴屋か玉屋 まだも泊まるなら会津屋か」 です。

 「鶴屋(つるや)」は中町四番町北側にあり、幕末には関宿の脇本陣(「西尾脇本陣」)も兼ねていた旅籠でした。

 「玉屋(たまや)」は中町二番町北側にある関宿を代表する大旅籠です。現在は、「旅籠玉屋」として市の文化財に指定されるとともに、「関宿旅籠玉屋歴史資料館」として一般に公開されています。

 「会津屋(あいづや)」は関地蔵院の正面にあり、朝目を覚ますとすぐに地蔵院を拝むことができる旅籠として人気がありました。

 いずれも、江戸時代に建築された建物が今でも使われており、関宿の歌に謡われた3軒の旅籠がすべて現存しているということになります。

 東海道を旅する旅人は、各宿場にある旅籠に宿泊しながら旅をつづけました。各宿場に「一生に一度の旅でぜひ泊まってみたい」と旅人たちがあこがれる旅籠が何軒かあり、各宿場の名所のひとつでもありました。

 関宿は東海道から参宮道が分岐する宿場でした。また、西には東海道の難所のひとつ鈴鹿峠を控えていました。街道を行く旅人は、行程を整えるため夕刻には旅籠に入り、一夜をゆっくりと過ごして、翌朝早い時間に旅籠を発ちました。旅籠での一夜は旅人の楽しみのひとつでもあり、夜は宿場が最も活気に満ちた時間でした。

絵札 脇本陣も兼ねていた鶴屋

そこで、「続く七七」は、
「旅人賑わう 夜の関宿」
(たびびとにぎわう よるのせきじゅく)です。


「『関宿かるた』続く七七」

「泊まるなら 鶴屋か玉屋 会津屋か
 旅人賑わう 夜の関宿」




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