せ「せきのやま 語源になった 関の山車」

せきのやま ごげんになった せきのやま

 関宿の夏祭りには、幕や提灯で美しく飾られた“山車(やま)”が曳き出されます。夏祭りは、毎年7月20日前後の土日に行われており、山車は夕方から、関宿の街道筋を中心に曳きまわされます。

 この祭りは、関宿にあった笛吹大明神と熊野皇大神社(明治42年に合祀され現在は「関神社」)の祭礼で、江戸時代末の最盛期には両社合わせて16台の山車があったと言われていますが、現在は4台が残っています。

 「せきのやま」とは、「これが限度いっぱい」「精一杯」の意味で使われる言葉ですが、この関宿の夏祭りに曳き出される「山車」が語源になったとされています。

 「大そう立派な山車でこれ以上立派にはできない」、「狭い街道に曳き出すため、これが限度いっぱいの大きさである」、「祭りに参加する人や旅人で街道が埋め尽くされ身動きが取れない」といった、山車の豪華さや祭りで賑わう様子が元になったと言われています。

 「せきのやま」は今も全国的に使われている言葉です。関宿の祭りの賑わいを体験した旅人たちの口伝えによって、諸国に広まっていったのではないでしょうか。

絵札 関の山車

そこで、「続く七七」は、
「小さなまちの 言葉諸国へ」
(ちいさなまちの ことばしょこくへ)
です。


「『関宿かるた』続く七七」

「せきのやま 語源になった 関の山車
 小さなまちの 言葉諸国へ」